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「出の山 いこいの家」の歴史
霧島連山 霧島連山に降り注いだ雨水は長い年月を経て、「出の山」に毎秒1tの湧水として吹き出しています。この湧水は昭和60年に「全国名水百選」として環境庁より認定されました。
この湧水がこれまでいろいろな「出の山」のドラマを演出いたしました。
出の山の歴史を紐解きますと、その昔、延宝2年(1674年)薩摩藩が出の山の豊富な湧水を貯水して、下流を穀倉地帯にしようと堤防を築き、「出の山溜池」を構築しようと考えました。工事は難航して幾度か崩壊しなかなか築堤が出来ず、最後は「人柱」を立てる布令がだされ、検者自ら人柱に立ったという悲話が伝えられております。その後この1200坪の溜池の用水は、細野3000石と称して島津藩の穀倉として有名になりました。
 又、この溜池を利用して明治末期には鯉の稚魚を放流して鯉を養うことを発案する人も出てきました。やがて、「鯉」は出の山の水質や温度に適して成長も良く、その風味が他所の鯉に比較して非常に優れていることがわかると、鯉とフナの稚魚を毎年放流して自然養成する習慣が生まれてきました。
 当時は娯楽のない時代で、農家の人々や住民の唯一の楽しみは、毎年11月の中旬に恒例となった池干しでした。水深の浅くなった池に網を投げ鯉やフナを取りました。焼酎や味噌・なべを用意して集まった人々は、池のふちで車座になり、鯉の刺身・鯉こく・フナの塩焼きを食べ、飲み話し合う習慣はいつしか小林の一大イベントになりました。
宮崎県水産試験場小林分場 出の山の「鯉料理」の起源はこうして誕生いたしました。
そして、昭和28年には、出の山湧水を利用して淡水魚専門の研究機関として宮崎県水産試験場が淡水指導所を小林に設立することになりました。
 指導所の主たる研究は、当時は戦後の食料の供給がまだ十分でない頃で、動物性蛋白質の供給源として溜池で実証された「鯉」と清流を好む外来種の「ます」の養殖の研究が主力でした。鯉の養殖が軌道に乗り生産性が向上すると、鯉の販売も忙しくなり、県がするには手が回らなくなり、販売専門の業者の必要性に迫られました。
 当時、日南の「日本パルプ」の動力課長をしていた海釣り好きの坂本宇三郎は、工場が広渡川に工業排水を流していたこともあり、漁業組合と賠償保障の交渉役をしておりました。
いつしかその人柄を買われ、日パの職員でありながら広渡川漁業組合の組合長に推薦されました。
 組合長になった坂本宇三郎は会議等で県の水産課に出入りするようになり、水産課の日高武達さんとの運命的な出会いをいたしました。
 東大の水産科卒の日高さんは酒豪で囲碁が好きで、酒好きの父宇三郎とは無二の親友となりました。やがて日高さんは県庁から小林の淡水指導所の所長に転出されました。
その後も父と日高さんとの付き合いは途絶えることはありませんでした。
やがて父が日パを定年退職する時を迎える事になった時に「もし定年後の仕事が決っていなければ、小林に来ないか。県が生産した鯉の一手販売をして欲しい。」と誘われ、父と母そして当時中学生の末娘の3人が未知の小林に移り住むことになりました。
出の山いこいの家昭和33年の12月のことでした。
  住宅と販売のための生簀が池のほとり作られ、「いこいの家」の発祥の地となりました。
 時を同じくして、昭和33年に小林からえびの高原までの県道1号線が有料道路として開通して、同時に「えびの高原ホテル」がオープンいたしました。夢のスカイラインとして話題を呼び、「観光」と言う言葉が流行りだしたのもこの頃からでした。
又、それまで、年1回の季節的な行事であった出島での自炊の鯉料理も、試験場の鯉の生産が軌道に乗り販売所が確立されると、鯉を購入して野外で煮炊きする習慣は、年間を通しての行事へと変わって来ました。現在のような外食産業のない、食糧事情の貧しい時代でいつしか人々の間で話題となり、西諸地域以外からも鯉の野外料理を楽しみに出の山を訪れる人々が増えて参りました。
野外で楽しもうと、味噌・しょうゆ・なべ・釜を持参して、鯉を買い煮炊きを出島でしていると急に雨が降り出す日もありました。慌てて自炊した料理や道具を抱えて雨宿りを請いに駆けつける人々が少なくない日が出て参りました。そこで父はそんな人達のために休憩所を増築いたしました。
初代 代表取締役 坂本宇三郎 そうしているうちに、調味料や道具を持ち込むのも面倒だからとか、知らずに道具なしに鯉料理を注文する人も訪れるようになり、ついに鯉料理屋としての体制に追いやられてしまい、「いこいの家」での本格的な営業がはじまりました。
 国民の所得の向上に伴い観光ブームを向かえ、外食の習慣が定着して観光客の収容が出来なくなり小部屋の増築そして当時としては珍しい100畳の大部屋建築へと大規模化してまいりました。
 訪れる観光客が年々増加すると池周辺にも次々に同じような鯉料理屋が3件誕生し、「鯉料理なら出の山公園」との風潮も定着してまいりました。
60歳の定年サラリーマンから転職した初代坂本宇三郎は、事業の拡大とともに、いこいの家を昭和45年1月に法人化して「有限会社いこいの家」、そして昭和51年7月には「株式会社いこいの家」と組織変更し代表取締役に就任いたしました。
 昭和44年になると、初代の末娘の婿・坂本新平が鹿島建設を退社して有限会社「いこいの家」に入社。
 昭和48年長男宇一郎の誕生を記念して創業当時の木造平屋建てを鉄骨2階建てに新築し、会議室を併設する現在の施設になりました。
 平成10年には長男坂本宇一郎が宮崎交通(株)の海外旅行部を退職していこいの家の3代目として家督を相続して現在に至っています。
出の山公園 出の山公園の中心でもある出の山池は、4ヘクタール、最水深部4メーター、4万匹の魚が泳いでおります。島津藩のころ灌漑用水池として作られた人工池で、現在は魚も含め、小林土地改良区の管理下にあります。この出の山池の鯉は観賞用であり30年以上の鯉が泳いでおります。
 弊社の料理用の鯉は自家養殖池(高原町温谷)と西米良の契約養殖場で管理されており、常に流水の中で育てられ、出の山の名水百選の湧水で仕上げておりますので、最高の鯉をみなさまへ提供できるよう日々努力しております。
 料理用の鯉は、二年物を使用し食感良く、骨のできる限り当たらないものを選択いたしております。
 また池のほうを泳いでいる細長い魚はペヘレイという南米産の淡水魚です。
 鯉にはタウリンが多く含まれており、滋養強壮、疲労回復によいとされております。弊社では、川魚特有の泥臭さを持たない鯉本来の味を追究しておりますので、ぜひ、当社の鯉をご堪能いただければ幸いです。
代表取締役 坂本 宇一郎
高原・自家養殖池 西米良・契約養殖場 出の山の湧水 ペヘレイ
商  号 株式会社 いこいの家
設  立 昭和35年 7月1日
資 本 金 10,000,000円
代 表 者 代表取締役 坂本 宇一郎
所 在 地 〒886-0005 宮崎県小林市出の山公園内 >> Map
営業時間 AM10:30〜PM6:30 ※PM6:30以降は予約制
電話番号 0984-22-5151
F A X 0984-22-5153
E-mail ikoinoie@sweet.ocn.ne.jp
U R L http://www.ikoinoie.jp/
取引銀行 (株)宮崎銀行 小林支店
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